大リーグ養成ギプスをはめたナマケモノ並みの更新速度な雑記です。
私だけなのかもしれませんが、「書きたいもの」と「読みたいもの」との間には、微妙なずれがあるように思えます。自分が読みたいものを書く、ということは簡単なようで難しい。
例えば、アレグリアなんかは「書きたい」に比重が寄っているようで、完結してからほとんど再読していません。プレギエラは「読みたい」と思って書いたせいか、時折目を通すことがあります(ナルシストではないと信じたい)。今現在連載しているものでいうと、窓際やハルモニアは「書きたい」、二番は「書きたい寄り」の中間くらいかな。
「書きたい」と「読みたい」、どちらが良いというわけではなくて、どちらも愛着のある小説です。「書き手」としての自分と「読み手」としての自分が重ならないのは不思議ですが、この乖離が私に3つの連載を抱えさせているのかもしれません。1つの作品に集中できれば一番良いのですが、「書きたい」と「読みたい」の間を日々ふらついている人間なので、違うタイプの話を書いてバランスをとっているのかも。
などとぐだぐだ言っていますが、書くのも読むのも、面白ければそれで良いんですけどね。究極の着地点はそこです。
例えば、アレグリアなんかは「書きたい」に比重が寄っているようで、完結してからほとんど再読していません。プレギエラは「読みたい」と思って書いたせいか、時折目を通すことがあります(ナルシストではないと信じたい)。今現在連載しているものでいうと、窓際やハルモニアは「書きたい」、二番は「書きたい寄り」の中間くらいかな。
「書きたい」と「読みたい」、どちらが良いというわけではなくて、どちらも愛着のある小説です。「書き手」としての自分と「読み手」としての自分が重ならないのは不思議ですが、この乖離が私に3つの連載を抱えさせているのかもしれません。1つの作品に集中できれば一番良いのですが、「書きたい」と「読みたい」の間を日々ふらついている人間なので、違うタイプの話を書いてバランスをとっているのかも。
などとぐだぐだ言っていますが、書くのも読むのも、面白ければそれで良いんですけどね。究極の着地点はそこです。
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